こんにピヨ(・Θ・)とりさんです。
この記事を書くかなり前に、当時界隈でバズった デザイナーとしての「ゆるやかな死」 を読んで、今日までずっと考えていました。
元アダルト業界デザイナーのモンブランさんが現場で経験した「デザイナーの死」について、頭の片隅で何度も考えていたことが言葉になってきたので、ぼくの考えをつらつらと書いてみようと思います。
- 元記事の要約
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- センスは枯渇する
- 自身にも「死」はやってきた
- インプットをやめると死ぬ
- Webサイト
では、いってみましょう(・Θ・)
「センスが枯渇する」とは
センスについて考えてみる
まず「センス」という言葉は、「デザイン」や「クリエイティブ」という言葉と同じくらい人それぞれの解釈があるので、今回はWikipediaで説明されている「センス」という前提で考えてみます。
英語で五感の意味。転じて、美的感覚や感性のこと。才能と似た意味である。
出典:Wikipedia
Wikiでの解説を基準に考えてみると、センスは「生まれ持った感覚や感性」や、「人生経験の中で得た自分の尺度」のような意味ではないかと思います。
一般的な解釈では「どちらかと言うと感覚的」なものですが、その感覚も多少は人生経験に影響を受けて変化しているはずなので、生まれたままの純度100%な感性だけではないはずです。
センスは磨けるし、生まれ持ったものでもあるし、ややこしいワンね〜
センスは消耗するのか
前項をもとに考えてみると、感覚は消費したり消耗することはないので、モンブランさんの考える「センス」には、「アイデア」的な意味も多少含まれているのだと思います。
ちなみに「アイデアはゼロから生まれない」と言われており、戦略に基づいて視覚表現されるデザインはもちろん、自身の世界を様々な手法で自由に表現しているアートも、何者にも影響を受けず生み出すことは難しいのではないでしょうか。
アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
出典:アイデアのつくり方
- 関連アイテム
このように考えると、モンブランさんの指す「センス(やアイデア)」が枯れないためには、「アイデアのインプット」が必要になります。
この「アイデアのインプット」の重要性について、事項で考えてみましょう。
デザイナーに寿命はあるのか
アイデアの枯渇は「死」でもある
モンブランさんの記事を読み進めていくと、彼自身も以下のように「デザイナーとしての寿命」を感じるような経験をしたそうです。
ある日、コーディングが終わって、久々に依頼されたロゴデザインを着手しようとした深夜、頭を抱えることになった。
「同じようなロゴ」しか作れないのだ。
シンボルなしのロゴタイプ出来た案はとにかく無難な割に仕立てが悪い服みたいに不格好だった。
「ゆるやかな死」が僕に手を振り始めていた。出典:note
この文章を読んでいると、ぼくも今までのWeb人生で思い当たるシーンが浮かんできます。
アイデアを出そうとしているのに、頭の中が真っ白で何も思いつかないイメージ。
「急いで仕上げないといけないのに、アイデアも出ないしデザインも全然ハマらない、でも時間がない…やばい…」
こんな状況になると余裕がなくて心も荒むし、「もうデザイナーとして通用しないかも」と不安になりますよね。
インプットを怠るとどうなるのか
- アイデアが枯渇すると…
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- 小手先で何とかしようとする
- 同じようなデザインばかりになる
- 新しい発想が思い浮かばない
ぼくの考えですが、アイデアって消失する期限がすごく短いんですよね。
例えば「カレーがどんなものか知っている?」と聞かれたら、人生で一度でも食べたことがある人は何となく思い出せるはずです。
おそらく今思い浮かべているカレーは、食べていた時に「目で見て」、「舌で味わって」、「鼻で香りを確かめて」、どういうものか記憶したと思います。
カレーのことを考えたら、お腹空いてきたワン〜
他の例としては、懐かしい音楽などを聞くと、だいぶ昔の青春時代や人生のワンシーンなのに結構鮮明に思い出すことができますよね。
このあたりは科学的な根拠はないので確証はありませんが、おそらく「五感を多く使って感じているほど」深く記憶に残って、記憶から消失するまでの期間が長いと思うんです。
デザインのアイデアってたくさんの量を目だけで見て、どこかにスクラップしているだけのことが多いので、記憶に浅く残って忘れやすいんでしょうかね。
アイデアのインプットのあと、自主制作で作ってみた物の事はよく覚えているよ。
インプットも仕事のひとつ?
「いや、それは無理だわ」っていう気持ち、よく分かります。
制作現場の人は薄給で長時間労働の人もいるし、時間があるなら少しでも長く寝ていたい人もいると思います。
「残業代でないのに時間外でインプットするなんて」という考えも分からなくありません。
ただ、そのままの状態で毎日余裕なく働いていると、モンブランさんのようにアイデアの枯渇を感じる状況に遭遇することがあります。
時間にゆとりがある時なんてそうそう無いですが、ニュースサイトでも業界の専門誌でも、一日のルーティーンのなかに組み込んだりして、どこかで少しでも無理なくトレンドに触れているような習慣にしたいところです。
ぼくはAutomatorで、指定のサイトを開くアクションを自動化したら毎朝見るようになったよ〜!超便利!
(また記事にして紹介します!)
問題は「制作体制」や「予算都合」かもしれない
十分な予算と時間があればいいものは作れる
時間と予算がしっかりあれば入念にリサーチできるし、様々なアイデアを検討して最も良いものを作ることができます。
比較としては規模が大きすぎるかもしれませんが、三井物産のブランディングを担当した佐藤可士和は、ロゴやスローガン作成に9ヶ月もかけています。
ロゴやスローガン作成にあたり、佐藤氏は三井物産に対して約9カ月間によるヒアリングを実施し、事業内容や強みを精査。
出典:宣伝会議
- Webサイト
おそらくモンブランさんの現場では「作業に使える時間の目安」があって、なおかつ「超えなければならない期待値」の設定があったのだと思います。
もし、モンブランさんの会社がすごい売り上げで、量より質を求めるようなユーザー層ばかりだったら、デザインにもっと時間を割く余裕が生まれて健康な心と良いモチベーションで制作に向き合えたのかもしれません。
「時間があれば良いものなんて誰でも作れるぜ〜」ってベテランの大先生がいつも言ってたワン〜
時間あったらクライアントがわがまま言って何度も修正することもあるよね、その辺りはなんとも言えない…
無茶なスケジュールで頑張りがち
Webやデザインの制作現場ではよくある話ですが、「ちょっと厳しい予算」と「ちょっと厳しいスケジュール」で稼働することが当たり前みたいな風潮があります。
人間は思っている以上に繊細なので、感情次第でモチベーションなんてダダ下がりするし、パフォーマンスにも影響します。
Web制作のあるあるだワン…
良いものを作っている自信があって、周りも楽しく仕事に取り組んでいたら、みんなのパフォーマンスが最大限に発揮できると思います。
今回の話においてもモンブランさんへ多めの業務負荷がかかった結果、心理的余裕がなくなってモチベーションが低下している気がします。
もし、上司が状況を察知して負荷が集中しないように動いてくれたら、状況は違ったかもしれませんね。
部下の問題は上司がマネージメントして解消するべきですよ。
無理難題でもこなせるのは熱意のおかげ?
モンブランさんが「デザイナーの死」を感じるまでのプロセスを並べてみました。
- 「デザイナーの死」までのプロセス
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- グラフィックデザイナーとして活躍
(通常の状態、インプットする余裕アリ?) - 先輩デザイナーの寿命(?)事件
(業務引き継ぎ、チーム全体に影響)
(モチベーション:まだ余裕あり) - 社内唯一のWebデザイナーとして活躍
(業務に追われて余裕がない)
(モチベーション:結構きつい) - ロゴが作れない事件
(モチベーション:ギリギリ) - 「デザイナーの死」を感じる
- グラフィックデザイナーとして活躍
むしろ、後半から「デザイナーの死が近づいている」と感じるまで走り続けられたのは、熱意やモチベーションがあったから耐えられていたのでは、と思います。
好きなことって、疲れていてもできちゃうじゃないですか。
大事な人のためなら、頑張れちゃうじゃないですか。
人って興味や熱意があれば、欲も後押しするので、多少は無理ができる気がするよ。
(そういう時って無理してる意識がないものです)
だから多分モンブランさんも、余裕が無いまま走り続けないといけない環境にちょっと疲れちゃっただけだと思うんですよね。(わかんないけど)
さいごに
- この記事のまとめ
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- アイデアは放っておくと枯渇する
- 「死なないため」にはインプットを続ける
- 制作現場は個人への期待が大きい
初めてモンブランさんの記事を読んだ時から「デザイナーの死」ってどういう意味だろう…と分からず悶々としていたけど、自分の中にある「デザイナー(という未来?)が死ぬ」と考えると、なんとなく腹落ちしました。
忙しいとつい疎かになってしまうアイデア収集やトレンド調査ですが、制作に使う大事な武器のひとつなので、仕事で良いパフォーマンスが出せるように追いかけておきたいですね。
忙しい人向けに、オススメのWebサイトを厳選してみたので参考にしてみてね。
Webやクリエイティブ系だけがとは言えませんが、制作職は「余裕のない中でも相手の要望にキッチリ応えていく仕事」なので、あまり目標を高く持ちすぎず、自分を追い込むのも程々に、のんびり行きましょう。
それではまた。(・Θ・)